船形棺を曳いた船引の地名起源
どんな伝承か
いまの田村市船引のあたりは、古くは七里ヶ沢と呼ばれ、芦の茂る人けのない土地だったと伝わる。桓武天皇の代、坂上田村麻呂が蝦夷の頭領大竹丸を討つ勅命を受けて下り、文殊本尊の加護によって勝ちを得たという。凱旋の折には、戦死した士卒の霊を船の形の棺に納め、いくつも船引川へ浮かべて曳かせ、その霊を慰めた。棺は焼いたが一つだけを残し、永く伝えるために燈明山宝船寺を建てて菩提寺とした。寺は字舘の影屋敷の東手にあったが明治の初めに廃され、跡地だけが残る。船引という地名はこの寺の起こりに由来するとされている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
船引町史 民俗編――昔話と伝説(船引町(編)・船引町史)
『船引町史 民俗編――昔話と伝説』は、船引町が編んだ町史民俗編のうち、第十一章「昔話と伝説」を収めたものである。昭和五十三年春から町内を回って集めた昔話を話者の名を添えて土地の言葉のまま載せ、坂上田村麻呂や安倍貞任にまつわる地名・社寺の由来など町内の伝説を併せて記す。第一節では語り収めの句、葉煙草ののし作業を語りの座とした伝承の環境、語り手の系譜を論じ、第二節では伝説を自然・歴史・宗教の三つに分けて紹介する。