人狐を外道と呼んだ伯耆の祈禱記録
どんな伝承か
外道持ちは備後地方を中心として、石見、出雲の奥部、山口方面にも分布している。古くは狐持ちのことを別名で外道持ちともいった。寛政六年の伯耆・飯戸(たたらど)村の人狐関係文書には、寛政二年七月、鈑戸村の喜三郎の妻に人狐が見入って難儀をした折、汗入郡北尾村の善隆院という山伏を七月十六日に喜三郎方へ連れてきて祈祷させたところ、外道が口走ったとあり、人狐と外道を同一視していたことが分かる。時代が下ると狐持ちと外道持ちを区別する土地が多くなったが、実質は同様の内容であった。石見のある地方では、一代で数千金を貯めた家が外道持ちと噂され、子どもまで遊んでもらえないほどの差別を受けたという。
原典より
古くは、狐持ちのことを、別名、外道持ちとも言いました。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。