年貢をまけてと拝む小作人と地主の父
どんな伝承か
著者の生家は村一番で、郡内でも一、二を争う大地主であった。毎年秋から冬にかけて、小作人たちが沢山の米俵を運んできて、幾つもある倉庫を一杯にした。どうしても年貢を完納できない者は、著者の父に対して頭を縁にすりつけ、「今年は思いもかけぬ不作でしたので、どうか一俵まけてください」「病人がでて弱つていますから、三年ばかりお慈悲をかけてくださいませ」と拝むようにして頼み込む。しかし父は「駄目だよ」とあっさり断り、彼らは恨めしそうに悄然と門を出て行った。著者は子供ながら、あの人たちは可哀そうだ、きっと私たちを恨んでいるにちがいないと思わずにはいられなかったという。
原典より
しかし、毎年秋から冬にかけて、小作人達が沢山の米俵を運んできて、幾つもある私の家の倉庫を一杯にするのでしたが、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。