妾を迎えてキツネモチとされた庄屋
どんな伝承か
藩政時代に庄屋をつとめ、この部落の地主の筆頭であったHC家は、他人の土地を歩かずに目的地へ行けたといわれるほどの大地主で、酒屋や質屋を営み、一三人の子方をかかえていた。元来は「いい方」だったが、三代目(寛保三年没)か四代目(安永八年没)のころ、すなわち享保〜安永期にキツネモチとされるようになった。この時期はHC家の全盛時代でもあった。HC氏や古老のTI氏によれば、直接のきっかけは筋の系統の女性を妾にしたことだが、その背後には、HC家が他部落から地主として入村し、さらに財産をふやしていったことへの村人の反感や妬みが作用していたという。素性の分らぬ娘を妾にしたのをきっかけに「あそこの家はキツネモチだ」といわれるようになったのである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年))
『日本の憑きもの』は、吉田禎吾が一九七二年に著した人類学の研究書である。キツネ・イヌガミ・オサキなどの憑きもの信仰と、それを家筋で伝える憑きもの筋を、島根・高知・大分などの村での調査事例と古記録をもとに取り上げ、アフリカやヨーロッパの邪術・妖術と比べて論じる。三章立てで、憑きものの正体と特色、憑きもの筋の形成と伝播、憑きものが村落社会で果たす働きを順に述べ、注とあとがきを付ける。