部落を二分した狐持ち派と白米派
どんな伝承か
地主と小作の対立が残るかぎり、狐持ちの迷信は生き続け、選挙のたびに両派の争いを生んだ。著者の郷里の八十戸ほどの小さな部落は、はっきりと二つに割れていた。一方は著者の生家を中心に五軒の分家と二軒の孫分家が血縁で固まり、ほかの狐持ちの家々が出入りや小作の関係で加わった大きな勢力。他方は生家に次ぐ金持ちで、ずっと早く部落に来た草分けの家とその分家N家を中心とする、狐持ちでない家々である。神社の席順や屋敷の広さ、寄付の額から、町長や国会の選挙まで両派はつねに争い、団結と財力にまさる狐持ちの側がたいてい勝ったという。
原典より
例えば、私の郷里の部落をとつてみても、八〇戸ばかりの小部落が、明かに、真二つに分かれるのが普通でした。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。