隠岐海士村の人狐と酒宴に終わった解消決議
どんな伝承か
隠岐は離島で近代化が遅く、狐持ち(人狐)の迷信がもっとも典型的な形で残っている。海士村では、昭和二十四年に狐持ちの家筋の教員と結婚した宇受賀の娘が親戚から縁を切られ、翌年には菱浦の教員と豊田の娘の婚礼に親戚がほとんど来なかった。豊田部落は約六十三戸のうち狐持ちでない家が三軒ほどで、島では「豊田者」が狐持ちと同じ意味に使われた。昭和二十五年三月に部落民大会が迷信打破の規約を作ったが、間もなく誓約違反だと花嫁を棒でつつく騒ぎが起きた。昭和二十二年の村会の人狐解消決議も実を結ばず、菱浦では解消を氏神に報告したあと、狐持ちの家の負担で清酒六斗を飲んだだけだった。
原典より
さらにまた、隠岐島は、孤島であるため近代化の速度がにぶく、多分に封建色を保存していますが、狐持ちに関しても、恐らく最も典型的な形において残存しているといえましょう。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。