人狐解消決議と狐持ち負担の酒宴
どんな伝承か
昭和二十二年、隠岐の海士村では村長の前田氏が人狐解消決議案を村会に出し、全員一致で可決されたが、何も変わらない空決議に終わった。同じ年の四月、海士村大字菱浦の部落では、狐持ちでない家から交渉委員五人が選ばれ、狐持ちといわれる十五、六軒と話し合ったうえで、部落の全員が神社の境内に集まって氏神に人狐の解消を報告した。ところがその祝いと称して清酒六斗を飲み、その費用は残らず狐持ちの家々に払わせたという。狐持ちの負担で酒盛りをしただけで、迷信をなくす効き目は何もなかった。
原典より
さらにまた、これより前、昭和二十二年に、隠岐海士村の村長前田氏が、「人狐解消決議案」を村会に提案し、全員一致で可決しましたが、これもまた、空決議に終わったに過ぎません。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。