松江藩が出した狐無之儀御触書
どんな伝承か
出雲神門郡二部村の狐憑き騒動が山伏の奸曲と裁かれた翌年、辛亥八月に、松江藩は「狐無之儀御触書」を発した。触書は郡奉行から下郡、庄屋を経て下々一般にまで訓諭され、さらにその翌年にも重ねて出されている。しかし藩が訓諭を発したからといって、それだけで狐持ちの噂がなくなるわけではなかった。文政四年にも同様の触書が出されたが、効果はやはり同じであったらしい。人狐の俗信は藩の禁令をもってしても容易に収まらなかった。
原典より
そこで松江藩では、その翌辛亥八月に、「狐無之儀御触書」を発し、郡奉行より下郡、庄屋を経て下々一般へ訓諭したが、この触書は、この翌四年にも重ねて出されている。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。