巡礼の生霊から狐持ちにされた家の訴状
どんな伝承か
文政十一年(一八二八年)、隠岐島宇賀村の万蔵は次のような訴状を提出した。三十三年前、姉のよしと西国三十三ヵ所を巡礼した折、城崎の湯島温泉で美青年とその老いた従者の二人連れと知り合い、道中を共にしたが、伯耆の境で隠岐島行きの船を待つうちにはぐれてしまった。舟待ち宿の主人から、その二人連れが隠岐へ渡ろうとして許しが出ず恨めしそうに帰ったと聞かされ、姉のよしに事情を尋ねる場面が記されている。
原典より
「お前の家に建つている小祠を流し捨てるように」との御託宣がありましたので、利平太は七日間の滞在を終えて、帰国し、私方(万蔵方)の小祠を海に流したのであります。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。