神原村から逃げ出した十四軒の百姓
どんな伝承か
近世中期以後の農民は生活の苦しさのあまり、生まれ故郷を後にして他村や他領へ逃げる者が続出した。著者の郷里である加茂町の神原という部落でも、明和元年から寛政五年までの約三十年間に十四軒ほどが村を逃げ出している。庄屋伊蔵の名で残る覚には、明和元年に久野村へ引っ越した辛吉、同四年に仁多郡三沢へ移った喜太郎をはじめ、下阿井・高田・郡村・広村・稲田・大内原など仁多郡方面へ去った者の名が並ぶ。文書にいう神原村は現在の神原部落のことで、当時の世帯数は五、六十軒あったと推定されるから、その中の十四軒が三十年間に他地方へ逃げたことになる。
原典より
この文書にある神原村とは、現在の神原部落のことで、当時の世帯数は、約五、六〇軒あつたと推定されますから、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。