加茂町で数えた狐持ちの家
どんな伝承か
郷里へ引きこもった著者は、学生時代に途中で放り出していた狐持ち迷信の調べをふたたび始めた。手はじめに自分の住む加茂町を歩いて実態を数えると、町のおよそ一割の家が狐持ちとされていた。その本家筋が村へ入った時期はほぼそろっており、江戸中期以降に移ってきた他所者か新しい分家で、草分けの百姓ではない。しかもいずれも小金持ちで、村の頭分の地位にあった。旧松江藩の倉から出てきた『人狐物語』や藩の書付が、この見立てを裏づけたという。
原典より
私はこの機会に、中途で放棄していた大学時代の狐持ち迷信の研究を再開し、いつの日にか成果を世に問いたいと思うようになった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。