悲しい隔地心中事件
どんな伝承か
著者の結婚式からわずか二日後の十一月十八日、同じ出雲大社の膝元で、愛し合う若い男女が別々の場所で同時に命を絶った。女の家が狐持ちだという理由で、男の両親と親戚が結婚を頑として許さず、二人は八方手を尽くしたが実らなかった。死ぬ場所は違っても行き先は一つ、せめて死後は一緒に葬ってほしいと書き残し、それぞれの自宅で同じ日時に青酸カリを飲んだのである。後の章によれば、大社町の自転車商の青年と出雲市の美容師の娘だった。しかし家が狐持ちと見られるのを恐れる人々は最後の願いを聞き入れず、二人は別々に葬られた。著者はこの心中を、迷信に若い命をかけて抗議したものと受けとめている。
原典より
狐持ち迷信にまつわるトラブルとしては、私たちの場合はきわめて軽い方であり、ハッピーエンドでもあった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。