同族団の形成
どんな伝承か
その頃の速水一門には分家が一軒もなく、三軒の名子がいるだけであった。三代藤次は三人の男子のうち二人を分家させて同族団を作り、本家を支えさせようと図る。それが西速水と上速水で、本家を助けながら高利貸資本家として活躍し、西速水は明治に一時本家を凌ぐほど貨幣を蓄えた。四代清三郎は安永と天明、五代文右衛門は化政期、六代庄太郎は天保期にそれぞれ年寄役を勤めたが、土着勢力が固守する庄屋にはなれなかった。明治に入ると七代儀一郎と八代文太郎の父子が土地の兼併に専念し、文太郎は大原銀行を創設して頭取となり、郡会議長と村長を兼ねて地方政財界を牛耳った。
原典より
その頃、速水一門といっても、一軒の分家さえなく、三軒の名子がいるだけであった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。