父親の悲しみ
どんな伝承か
著者は三十一歳の暮れまで結婚できなかった。狐持ちの家の者が出雲の普通の家から嫁を迎えるのはほぼ不可能で、二人の兄も東京と大阪から妻を得ていた。著者も東京の実業家の娘を選んだが、娘の父は伯耆の境港の出で、祖母の実家は著者の生家のすぐ近くだったため、素性はたちまち知れた。著者が狐持ちの家筋だと打ち明けると、娘の父は迷信だと笑って承知し、昭和二十七年十一月中旬、二人は出雲大社で盛大に式を挙げた。だが伯耆に住む父の母は、家系が黒に染まるのを恐れて息子に縁切りを言い渡しており、父方の親族は一人も列席しなかった。数か月後、祖母は折れて縁を戻したいと便りをよこし、結婚写真を見たがったという。
原典より
私は三一歳の暮れになって、ようやくみこしをあげた。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。