百姓二人が討った七人の塚
どんな伝承か
県道の西、田圃の中にある。戦国のころ、成羽の城主三村氏が塩山城主多治部雅楽守を攻めたとき、百姓の小谷庄右衛門と山本久右衛門の二人がこれを防ぎ、三村方の七人を斬った。その七人の死骸をここへ葬ったのが七人塚だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男(指導)・日本放送協会(編)/関敬吾・石原美子(編纂)・1949年(昭和24年))
『日本伝説名彙』は、柳田國男の指導のもとに日本放送協会が昭和二十四年に編んだ伝説の名彙である。全国の伝説を、その拠り所となる木・石・岩・橋・清水・淵・塚・坂・屋敷・地蔵などの地物の名ごとに集め、伝わる県郡村名を付して、郡誌・市町村誌や伝説集、民間伝承誌などの出典を括弧で示す。冒頭に柳田の「傳説のこと」を置き、木・石岩・水・塚・坂峠・祠堂の部に分けて、巻末に資料の解説と種類別索引を付す。