両教祖の会見
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どんな伝承か
陣羽織にお歯黒という異様な姿の喜三郎が綾部の梅原家の倉の広前でナオと対面。「稲荷講社では世話になれぬ」とすげなくされたが、両教祖を結ぶ経と緯の糸が結ばれた。
原典より
上田喜三郎が、はじめて綾部を訪れて、大本開祖・出ロナオと会ったのは、一八九八年(明治三十一)十月八日のことであった。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。
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綾部市の伝承
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