福来博士が高橋の寓居を訪問
どんな伝承か
大正元年十月ごろ、元良文学博士が重態におちいり、見舞いに訪れた高橋の知人桜井某女史が、その席で千里眼問題の学者として有名な文学博士福来友吉に出会い、高橋が一人の千里眼婦人を養育している旨を語った。これを機に福来博士は女史の案内で夫人を伴い、手土産を持って高橋の寓居を訪ねたが、高橋は朝鮮へ旅行中で不在であった。能力者の貞子は、軽々しく能力を語れば新聞に出て苦心が無駄になると信じていたため、博士は要領を得ぬ応接を受けて去った。高橋は翌年二月に朝鮮から帰ってこの話を聞き、礼として帰宅を報じたところ熱誠に満ちた返信が届き、大正二年二月十三日午後七時、小石川区大塚町七十番地の私邸で両者は初めて会見した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・大正2年(1913年)前後)
明治四十三年(1910年)から大正二年(1913年)にかけて、著者高橋宮二が体験した精神修養と霊能力(通力・千里眼)に関する記録。藤田靈齋の深呼吸修養法から始まり、日本アルプスでの深山幽谷修行を通じて、精神修養による霊能力の発現を理論化・実践化する過程を記述。御船千鶴子・長尾郁子といった著名な千里眼能力者の事例と、著者の配偶者による透視・念写能力の発現記録を中心に展開。