透視で盗みを見抜いた福来校長
どんな伝承か
大正十年、高野山の本山が経営する宣真高等女学校が池田に開かれ、福来友吉が初代校長に迎えられた。ある日、担任の古瀬紋吉の組で、生徒が運動場に出ているすきに腕時計が一つなくなった。福来は昼食をとる生徒たちを前や横から眺め、芝居や笑い話をしながら少しずつ生徒を外へ出し、残った数人を校長室で見守って一人だけを残した。そして時計を二つ持っているでしょうと笑顔で告げると、その生徒は泣いて詫び、福来は思い違いだったことにして諭し、帰したという。嵯峨の大覚寺で弘法大師の姿を写させた話も教え子が伝えている。大正十五年三月、福来の辞任をめぐって生徒が同盟休校を起こし、海外の新聞にも取り上げられた。
原典より
これは彼が透視で当てたわけなのだが、当てられた本人は「まさか」と思っていただけに、たちまち色を失ったという。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。