宣真女学校初代校長に迎えらる
どんな伝承か
大阪の箕面町郊外の植林の中で女学校二年生の絞殺死体が発見され、子女を持つ人々は恐怖のどん底に突き落とされた。遠くに通わせるのは危険だ、近くに女学校が欲しいという声が高まり、高野山管長や地元の真言宗僧侶らが中心となって活動し、昭和十年三月に開校したのが宣真女学校である。かつて京都の船形屋敷を三田光一が調査するため精神統一に入った時、嵯峨天皇の病気快癒を祈願する弘法大師の姿が見え、その後嵯峨公会堂で般若心経殿を念写しようとした際にも大師の姿が乾板に感光した。そのため幽霊を認める者は校長に不適当だという声もあったが、大師を尊敬する福来博士こそ適任と認めた高野山が、彼を初代校長に迎えた。
原典より
大阪の箕面町郊外の植林の中に女学校二年生の絞殺死体が発見され、子女をもつ世の人々は恐怖のどん底につき落されました。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。