絹川に沈められた累の怨み
どんな伝承か
下総岡田郡羽生村の百姓与右衛門は、横曽根村から連れ子を伴って嫁いだ妻を迎えたが、その子の醜さを厭い抜いた。思い余った妻は慶長十七年四月十九日、六つになる助を絹川べりの横堀へ突き落として殺す。翌年生まれた女児は助と瓜二つの姿で、世の人は助が重ねて生まれたのだといい、るいをかさねと呼んだ。両親の死後、かさねの田地を目当てに廻国の行者が婿に入り、二代目与右衛門を名乗る。承応二年八月十一日、豆刈りの帰りに堀端で妻を突き落として殺した。祟りはのちに娘の菊に及び、弘経寺にいた若き祐天が呼ばれて教化にあたる。与右衛門も過ちを悔いて髪をおろし、西入と称して念仏に生きたと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第4巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第4巻』は、日本の伝説を話型ごとに集成した叢書『日本伝説大系』の一冊である。茨城・栃木・群馬の三県に伝わる伝説を、男体・赤城の神争いや榛名湖の入水譚、平将門・源義家・親鸞・弘法大師などの事跡、河童・竜宮・長者・石・姥捨・九十九谷などの話型ごとに収める。各項は代表となる伝承地の話を掲げ、〔類話〕に各地の聞き書きを伝承者名や出典とともに並べ、〔文献〕に縁起・地誌などの古記録を抄出し、柳田・高木による話型名を添える。