竜宮の乙姫が捧げた黄金の釣鐘
どんな伝承か
『嶽南史』第三巻が引く無間山蔵板の縁起である。遠州佐野郡日坂の郷の無間山観音寺は、弘仁二年三月十七日、弘法大師が天竺の栗菊の洞で写し刻んだ厄除けの観世音菩薩像を背負って来て開いたと伝え、それゆえこの山を粟ヶ岳と名づけたという。菩薩の徳により竜宮の乙姫から黄金作りの釣鐘が捧げられ、一度撞けば業障が消え、二度撞けば心の闇が晴れるといわれた。ところが小夜の中山の荒石長者が貪欲な心から撞いたため、財宝は得たものの無間地獄の底に落ち、三度の食物が蛭となって食えず夫婦ともに命を落とした。住僧長然は帝に奏上して鐘に手が触れるのを禁じ、井戸の底へ埋めた。長者の娘さよは尼となり両親を弔ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第7巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第7巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全97話(愛知・岐阜・長野・静岡=中部)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。