横須賀町に降った百五十六枚と禁止令
どんな伝承か
『浅羽風土記』によれば、慶応三年八月、お降り騒ぎは三州から遠州へ伝わり、横須賀町では九月四日に降り始めて同月十七日まで毎日降り、その数は百五十六枚、家数は百十七戸に及んだ。当時の戸数は六百七十戸ほどで、おおよそ四軒に一枚の割になる。一軒に一枚が多いが二枚の家もあり、特に多いのは二十二枚降った家もあった。札は天照太神宮・秋葉・水天宮・成田不動・大頭竜などさまざまであった。九月七日頃から女は男装し男もさまざまの風体をして屋台を引き出し笛や太鼓で囃したてたが、十月四日未明限りの禁止令が城役人から出て騒ぎは鎮まった。
原典より
慶応三年八月、お降り騒ぎは三州から遠州に伝わり、横須賀町(注、遠州の)にお札の降り始めは九月四日で、同月十七日迄毎日降り、其数は百五十六枚、家数は百十七戸であった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。