金光教の霊地大谷で育った信心
どんな伝承か
岡山県浅口郡の高梁川沿い、富田村七島(現・倉敷市玉島)に生まれた岡本信之(後の岡本天明)は、幼少より信心深かったと伝えられる。浅口郡三和村大谷(現・浅口市金光町)の金光中学校に通ったが大正二年に中退して神戸へ移り、画家を志した。大正九年、大阪の大正日々新聞社に入社した彼は、社長浅野和三郎の指導で鎮魂帰神の行法を受けたところたちまち霊が発動し、天言通などの超能力を発揮した。その霊界探検の様子は「万代池の竜」として新聞に掲載されたという。
原典より
本部の境内に入ると、御手洗で激いだのちお広前に上って畳の上に跪坐、正面欄間に「天地金乃大神」と横書きにしたながい額が掛かっている神壇に向かって、柏手を打って祈念しました。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。