十七年に七つの墓を築いた金光教祖の家
どんな伝承か
明治六年秋、笠井吉夫が中井の出社へ初めて参詣したとき、取次の大森うめから聞かされた話。金光教祖の家でも、神への無礼のために、奇しくも笠井家と同じく十七年の間に七つの墓を築かされたという。しかし教祖は、先祖代々が知ってか知らずか犯してきた無礼の数々を恐れ入って詫び、真心をこめて信心を貫いたので、あらゆる罪の赦しを得た上、神からその真心をしばしば褒められ、終わりには天地の神と同根の生神金光大神になられたと伝えられた。失われた七つの命は家族五人と飼牛二頭であった。
原典より
尚、この出社へ初めて御参詣させて戴きましたとき、先生から伺ったところによると、教祖さまのお内にも、神様への御無礼のため、奇しくも私の家と同様十七年間に七墓築かさせられたが、…—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。