熱病一週間全快の裁伝
どんな伝承か
近藤藤守夫妻が大阪から三日がかりの道中を経て、恒例の月参りに備中大谷を訪れたある日のこと。神が教祖金光大神の口を通して直に近藤へ語りかけ、金光大神あればこそ天地金乃神のおかげが受けられるのだから、その言葉に背かぬよう守って信仰せよと諭した。教祖はこうした裁伝を信者に伝えるとき、神前に向かったまま、あるいは顔を少し横に向けてまばたきしながら話しかけるのが常であった。ちょうどそのとき、土地の者らしい信者が参詣して熱病全快祈願の取次を乞うた。金光大神が神に取り次ぐと、すぐに『金光大神に、すがっておれ。一週間めにはおかげをいただく。心配はない』との裁伝が下ったという。
原典より
丁度このとき、土地の者らしい信者がお詣りして来て、熱病全快祈願のお取次を乞いました。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。