妻の癪が入信で全快
どんな伝承か
明治十三年二月十三日、大阪の近藤与三郎は夫婦連れ立って、伏見町の金光教布教師白神新一郎の広前に初めて参拝した。与三郎は前年から重病に苦しみ、隠者及川鼎に二十五が天命と告げられていたため、わが身のことは願う気になれず、もっぱら妻の持病である癪が治るようにと願い出た。教会長白神は、備中浅口郡大谷村の生神金光大神が開いた教えを説き、天地金乃神は天の日月と地の金乃神であり、天恩とともに地恩の宏大さを知らねばならぬと諭した。深く感じ入った与三郎は帰り道さっそく祠を求めて天地金乃神奉斎の手続を取り、するとほどなく妻の病気が全快したという。
原典より
与三郎は隠者の天命説を信じていたのか、わが身のことは願う気になれず、専ら妻の持病である癪が治りますようにと願い出たのであった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。