石見掾となった人麿と鴨山の終焉
どんな伝承か
柿本人麿は文武天皇の慶雲二年に石見の掾へ任じられ、これが石見と縁を持つ始まりとなった。石見那賀郡の国府では石見娘子という愛人を得たという。妻の依羅娘子は都に残されており、遠く離れた地で病んだ彼女を看護したことが縁で石見娘子を知ったと伝わる。和銅元年に朝集使として都へ帰り、その年の暮に再び石見へ来たが、依羅娘子との別れが永訣となった。国府に着いて間もなく班田や官船の務めで高津に出た人麿はそこで病みつき、鴨山の岩根を枕とする身を妻は知らずに待っていようかと吟じつつ、和銅二年に四十五歳で亡くなったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第11巻』は、山陰の鳥取・島根両県の伝説を集めた日本伝説大系の一巻である。矮姫による穀物の伝来、大山の山くらべ、伯耆の白兎、雲州皿屋敷、七尋女房、牛鬼、隠岐の後鳥羽上皇などを、伝承地を明記した口承の例話で示し、類話と近世以降の文献を添える。「文化叙事伝説」「自然説明伝説」の部に分けて話ごとに番号を付し、凡例のとおり例話・類話・文献・参考の順に並べ、多くの話に高木・柳田による伝説名を添える。