建福寺山に残る三光国師の旧跡
どんな伝承か
三光山建福寺の旧跡は、大字元屋の西北にそびえる建福寺山の中腹にある。この山は飯山とも飯盛山とも呼ばれた。寺は明治の初めに廃され、いまは一隅に高さ二丈ほどの石碑が立つのみである。口碑によれば、元弘二年に後醍醐天皇が隠岐へ流されたとき、出雲国能義郡の雲樹寺にいた三光国師は天運の回復を志して島へ渡ったが、北条氏をはばかって島内をめぐり、布施から飯美を経て元屋に入り、字稗田にとどまった。そして建福寺山の地が高く乾いて俗塵を離れているのを喜び、この寺を開いたという。神戸谷には国師の墓と伝える五輪塔があり、その傍らには塚を守るために建てられた霊護庵があったと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第11巻』は、山陰の鳥取・島根両県の伝説を集めた日本伝説大系の一巻である。矮姫による穀物の伝来、大山の山くらべ、伯耆の白兎、雲州皿屋敷、七尋女房、牛鬼、隠岐の後鳥羽上皇などを、伝承地を明記した口承の例話で示し、類話と近世以降の文献を添える。「文化叙事伝説」「自然説明伝説」の部に分けて話ごとに番号を付し、凡例のとおり例話・類話・文献・参考の順に並べ、多くの話に高木・柳田による伝説名を添える。