弥八宮に祀られた為朝の片袖
どんな伝承か
『新選事蹟通考』の引く弥八宮縁起によれば、為朝は大島で自害したというが、実は島を脱け出して密かに九州へ渡り、肥後に身を隠していたという。琉球へ渡ろうとして葦北の水俣の津で渡し舟を求めたところ、弥八という漁夫がその容貌の常人でないのを見て舟を出し、琉球まで送り届けた。弥八が帰ろうとするとき、為朝は直垂の片袖を解いて与えた。水俣へ戻った弥八は為朝を慕い、浜村に生祠を建てて袖を神体とした。弥八宮の名は弥八が祭る宮という意で後の人が付けたものである。一説には矢八宮とし、別れを惜しむ漁夫たちが袖に縄を掛けて引き留めたのを振り切って行ったため、ちぎれた片袖が漁夫の手に残ったのを神体とするともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。