俗謡に残る景清と生目八幡の墓碑
どんな伝承か
俗謡には、悪七兵衛景清は平家の味方であったために源氏に憎まれ、日向の宮崎とかいう所へ流され、両眼が見えなくなってどうにもならず、髪を下ろして日向の勾当と名乗ったとうたわれている。景清が日向の宮崎へ来なかったことは明らかであるが、その宮崎に生目八幡社といって景清が自分の眼をくり抜いたものを祀った社があり、また景清の墓というものもある。その銘文を石摺りにしたものを見ると、水鑑士とあって年号は建久八年とあり、確かにその時代のもので後世の細工ではない。景清が身を投げたという川もあるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。