三春城下から一里の目印の松
どんな伝承か
一里松は、西田町の高柴と三町目の境目に立っていた。田村古哲が三春城と高野城を築いた際、三春の大手門から一里にあたる場所へ植えたものだと伝えられる。松は枝を広く張り、日ざしの強い日には木陰が旅人の休み場となり、江戸時代には道のりを測る目印にもなったという。昭和五十四年、県道の拡張工事にかかって伐られたが、いまは植え替えられた小さな松が立ち、昔どおり一里松と呼ばれている。
原典より
西田町の高柴と三町目の堺にある。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。