出征を見送った成田の別れ松
どんな伝承か
日清、日露戦争をはじめとして太平洋戦争にいたるまで、入営または召集で長い別れになるとき、豊田村の人たちは必ずこの松の木のところまで送ってきて、長い別れのあいさつをした。あるときは万歳をし、また涙を流して別れたという。そんなことから、誰がつけるともなく、別れ松、万歳松、一本松と呼ばれてきた。昔はこの松の南側にもう一本あって、二本万歳松(日本万歳松)といわれていたが、一本は伐られ、現在は一本松となっている。
原典より
日清、日露戦争をはじめとして、太平洋戦争に入営、または召集など、それから長い別れになるときは、豊田村の人たちは必らず、この松の木のところまで送ってきて、長い別れのあいさつをして、あるときは万歳をし、また涙を流して別れたと…—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。