醜女の媛が産んだ田村麻呂
どんな伝承か
千二百年の昔、金屋の平館に普門王という人がおり、その娘の阿古陀は世にまれな醜女であった。蝦夷征伐の命を受けて下った陸奥鎮守将軍坂上刈田麻呂には、その媛がなぜか絶世の美女に見え、幾日か宿をとって契りを交わした。やがて媛が産んだ子が後の坂上田村麻呂で、生まれた場所は金屋の赤子土だという。産湯に使ったという井戸は白清水と呼ばれ、自然石を積んで大正時代まで使われていたが、昭和二十八年の道路工事で姿を消した。媛は父に子の父の名を明かさず、不義の子として捨てさせられたが、二羽の鶴が運んで育てたので鶴石山の名が残る。
原典より
千二百年の昔、金屋の平館に普門王という人がいた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。