田村麻呂が築いた守山城
どんな伝承か
郡山市田村町守山にある守山城は敷地が広く、いまも土塁や空濠が残っている。延暦二十年、東征に来た坂上田村麻呂が東奥を守るために築いた城で、膽沢城と呼ばれたという。田村麻呂の子の浄野からのち子孫が代々住み、やがて田村義顕が入ったが、永正元年正月に義顕は三春城へ移り、以後は田村氏の重臣の居城となって守山藩を治めたと伝えられる。村社の城山八幡神社の建つ所が本丸跡、守山小学校の敷地が三の丸跡とされ、付近には鍛冶屋敷、ワタウチ屋敷、小姓町、陣屋といった地名が残る。
原典より
田村町守山にあり面積も広く、今も土塁や空濠が残っている。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。