間桿に金をはめて狭まった村の紙漉き
どんな伝承か
海老根は藩政時代から八百石といわれ、高倉の千石に比べると耕地が少なく狭かった。昔の検地の折、高倉では役人の袖の下に金を入れたが、海老根の村役人は「金をつけろ」と言われたのを、桿の先が減るからだと勘違いして、測量の間桿の先に金をはめてしまった。そのため一間ごとにびたびたと桿を当てられ、畦畔ぐるみ測られて耕地が狭くなり、副業に頼るようになった。長百姓の善右衛門が考えついたのが紙漉きで、美濃の国から清右衛門という技術者を迎えて手ほどきを受けた。明暦四年十月のことという。江戸末期から明治にかけて、村では八十戸に紙漉き舟が百舟あったが、今も続けるのは一軒だけである。
原典より
海老根は、藩政時代から、八百石といわれていた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。