石棺と経筒が出た大六塚
どんな伝承か
韮崎市大草町上条東割の、通称池の久保という場所に大六塚がある。塚の北の後方には石碑が立つ。昭和十一年ごろに開墾した際、塚の上部中央から石棺が現れ、中には腐食した刀剣が納められていた。信玄より前の武将のものではないかといわれる。かなり大きな塚で、まわりには石祠と灯籠がある。もとは区の共有地だったが、明治三十年ごろ個人へ譲り渡されて開墾され、そのとき経筒一本とほかの出土品が見つかった。経筒の表には高野師冬の供養塔という文字があった。師冬は鎌倉の管領だったが、上杉憲顕に攻められてこの地まで落ち延び、陣を立て直して戦ったものの、ついに敗れた。その亡骸を葬ったのが大六塚だという。
原典より
通称池の久保というところにあって、塚の北後方に石碑がある。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。