飢饉と疫病の死者が放置された仏坂
どんな伝承か
永禄年間、雨が降り続いて堤防が決潰し、人畜の死傷、田園の流失がすさまじかった。加えて河川の氾濫や地震、飢饉が相次ぎ、疫病も流行して、夏目坂井の地は甚だしく兄弟同族が相争い、修羅のちまたと化したという。濁流の死者、飢饉の死者、疫病の死者は数え難いほど多く、葬る暇もなく坂道に死者を放置したまま十数日を経たと伝わる。夏目坂井の釜無川沿い、七里岩の坂道は、それ以来仏坂といい、今日も坂の名として残っている。
原典より
永録年間雨降り続き堤防決潰、人畜の死傷、田園の流失ものすごく、加えて河川はんらん地震、飢饉相次ぎ疫病流行、夏目坂井の地甚だしく兄弟同族相争い全修羅のちまたと化したという。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。