穴山氏の馬術見物が地名になった桟敷
どんな伝承か
穴山町の次第窪と重久にまたがって、桟敷と称する地名がある。ここは武田信武の四男義武による穴山氏発祥の地で、二代穴山満春まで居住した所であると伝わる。穴山氏は春秋の二季に土地の豪族を招き、馬術を競って練ったといい、その折に高い見物席をこしらえて観覧したので、桟敷が地名となって残ったといわれる。宅地の周囲には乾濠があり、中央の高い処は天白山と呼ばれ、天主閣のあった所と伝えて礎石が残る。近くには後室の住庵を設けたという老の窪があり、宅址の裏の天白窪の近くには、城山岳と呼ぶ穴山城址の展望台がある。
原典より
次第窪と重久にまたがって桟敷と称する地名がある。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。