山論の勝訴を祝った山取稲荷
どんな伝承か
韮崎市清哲町御杉の氏神は、もと小字「御崎原」にあったので御崎神社と呼ばれていた。今から二百年ほど前、隣村の青木村と山林の境界をめぐる論争が起きた。小村ゆえ里人は寝食を忘れて協議した末、困るときの神頼みだと皆で一心に祈願することにした。その甲斐あってついに山論は勝訴となり、里人は小躍りして喜んだ。そこで神の加護を末長く記念するため、村の上の「八ッ峰」へ天保年間に遷座した。これより「山取稲荷」と称え、里人は訴訟のときには必ず祈願をした。霊験はなかなかあらたかであったと伝えられている。
原典より
当区の氏神は、昔小字「御崎原にあったので、御崎神社といわれていたが、今から二百年前隣村青木村と、山林境界の論争が起きた。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。