宿を七度焼いた無頭坊禅師の祟り
どんな伝承か
寛文六年、幕府が村々の検地を行ったとき、蔵前院六世の山天育和尚は役人と激しく争った。いったん決着をつけて辺見路へ向かったが、宿の人々が呼び返して再検を願ったため、田地はもとより寺の敷地まで召し上げとなった。悲憤した和尚は「永代の土地を失っては先祖に申しわけがない」と弟子たちを呼び、「不将の輩を打ちこらすため死んで、七度この宿を焼き払う。宿中よく見える所に葬ってくれ」と言い残して、近くの問屋裏の大けやきで首を吊って果てた。果たして宿は七度丸焼けの惨事に見舞われた。驚いた宿人は七里岩の上に石塔を建て、「無頭坊禅師」と尊称して毎年三月十五日を祭日と定め祭ったという。
原典より
寛文六年、蔵前院六世山天育和尚のとき、幕府は村々の検地を行った。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。