新府落城を悼み餅をつかぬ節句
どんな伝承か
韮崎市中田町上野の部落には、三月三日の桃の節句に餅を搗いて祝うことをしないという風習が長く残っていた。そのわけは、この地の人々が新府城の落城を悲しんだからだと伝えられている。節句に餅を搗いて祝うのは晴れの行事であるが、上野ではその祝いをはばかり、永い間これを行わなかったという。しかし世が進むにつれてそのいわれも忘れられ、今ではこのならわしは絶えてしまった。口碑伝説として記録されている話である。
原典より
三月三日の桃の節句に際し、地元中田町上野部落に於ては、新府城落城を悲しみ、永い間桃の節句に餅を搗いて御祝をすることをしなかったと云う風習が残っていた。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。