白い衣ゆえに禁じられた白餅
どんな伝承か
『奥相茶話』は、相馬家が代々三元の日に血食せず精進潔斎し、白餅を食べず、御駒が上がってから肉食を勧める由来を説く。俵藤太秀郷は将門の勇悍を恐れて従おうとし、危難を経て将門を訪ねた。将門は浴室にあり、秀郷が到ったと聞いて髪を束ねず白い衣を着し、短刀を妾に持たせて出て対面した。秀郷は帰って、無礼な出立ちであり、しかも自分と組みたがる色があるのは将の器ではないと思い、都に上って官軍を導き、ついに将門を亡ぼした。白色の衣によって滅びたので、その色を食べるに忍びず白餅を禁じ、精米も色が白いため脱粟の飯を勧めるのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。