白い衣ゆえに禁じられた白餅
どんな伝承か
『奥相茶話』は、相馬家が代々三元の日に血食せず精進潔斎し、白餅を食べず、御駒が上がってから肉食を勧める由来を説く。俵藤太秀郷は将門の勇悍を恐れて従おうとし、危難を経て将門を訪ねた。将門は浴室にあり、秀郷が到ったと聞いて髪を束ねず白い衣を着し、短刀を妾に持たせて出て対面した。秀郷は帰って、無礼な出立ちであり、しかも自分と組みたがる色があるのは将の器ではないと思い、都に上って官軍を導き、ついに将門を亡ぼした。白色の衣によって滅びたので、その色を食べるに忍びず白餅を禁じ、精米も色が白いため脱粟の飯を勧めるのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・(平将門伝説の研究書))
梶原正昭・矢代和夫『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』を、論考の節単位で全67事例として収録した研究書(地域伝説集ではない)。平安中期の平将門(承平天慶の乱)をめぐる伝説を、英雄の死と伝説の誕生(冥界・調伏・怨霊・首の怪異・七人の影武者・妙見信仰・石化)、落人たちの運命(将軍太郎良門・如蔵尼の堕地獄と救済・滝夜叉姫・桔梗塚の寵妃・後裔と将門遺跡)、将門伝説の展開(馬の文化・関東一円の分布圏・文芸化・首塚の祟りと再評価)として論じる。