東征を命じられた倭建命
どんな伝承か
熊襲討伐を成し遂げた倭建命は、次の帝位を継ぐ第一人者と目され、恩賞を期待して日代宮近くから参内した。しかし待っていたのは立太子の詔ではなく、東の十二ヵ国の東夷討伐を命じる東征の命であった。景行天皇は御鉏友耳建日子のみをつけ、辞退を許さぬ強い調子で命じた。命は都にいてはならぬ理由でもあるのかと嘆き、楽しみにしていた野遊びは別れの宴に変わったという。
原典より
しかしそこで待っていたのは恩賞でも立太子の詔でもなく、思いもかけなかった東征の命令であった。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。