新田氏と足利氏の同族の確執
どんな伝承か
鎌倉を滅ぼした新田義貞の新田氏は上野国新田庄を本拠とする豪族で、足利高氏の足利氏とともに源義家の子義国から出た名門であった。ただ頼朝挙兵の折に早く心を寄せた足利氏が幕府と濃い血縁を結んで栄えたのに対し、本家筋を自負する新田氏は勢力で大きく水をあけられた。討幕でも足利に先を越された義貞は、幕府の本拠鎌倉を占拠して北条氏を討ち滅ぼし名を上げ、後醍醐天皇の建武中興が始まった。
原典より
義国には長男義重と腹違いの二男義康があったが、どういういきさつからか、足利の家督は二男義康が継ぎ、長男義重は母の生家の上州新田庄に移り住んで、新田を名乗った。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。