弁天の碑を移した綿打屋の知恵
どんな伝承か
今の千葉公園の真ん中にある大きな池は、もとは綿打池と呼ばれた。江戸時代、このあたりは佐倉藩領の寒川村と千葉村、旗本領の作草部村が接する境で、池がどちらのものかで争いになった。役人が実地検分に来る前の日、寒川村の綿打屋の太郎兵衛は機転をきかせ、村のどこかにあった弁天様の碑をこっそり移して証拠に仕立て、当日の検分では寒川村の言い分が通った。そこで綿打屋の知恵をたたえて綿打池と呼ぶようになったという。池の南側には今も弁天様があり、弁天町という町名のもとになっている。
原典より
いま千葉公園の真中にある大きな池を、もとは綿打池といった。—— 千葉市の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
千葉市の伝説(平野馨)
『千葉市の伝説』は、平野馨が千葉市内に伝わる伝説をまとめた文章である。日本武尊と弟橘媛、行基、千葉氏の祖と天女、源頼朝、徳川家康・家光にまつわる話を中心に、神社仏閣・塚・泉・池・橋・地名の由来や、千葉笑い・雨降かっこなどの行事の起こりを集める。四十三の短い項を古代から近世へおおむね時代の順に並べ、多くの見出しに町名を添え、ところどころに別伝や発掘調査の結果を書き添える。