棚原の祝女稲福婆の帰還(儀来婆)
どんな伝承か
『遺老説伝』に、棚原の祝女稲福婆の話がある。婆は失せて三年の後に海に漂い帰った。頭は禿げて髪が無く、貝や螺が体に付いていたが、その息はまだ絶えていなかった。先年たまたま海底に遊び、竜宮に進んで塩螺の類を食に賜わったと言い終わると、吐くものは色が黄であった。これによって人は始めて儀来婆と称した。子孫が竜宮のことを問うても、婆は諱んで話さなかったとある。この儀来婆の儀来はギライカナイ、すなわちおもろ草紙のニライカナイの転訛であった。それが日本人のいう竜宮のことだということは、遺老説伝の筆者にもわかっていたのだが、その知識はついに民間には普及しなかったのである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。