赤蜂本瓦の乱と長田大主の逃亡
どんな伝承か
古見の衰えを考える手がかりとして、柳田は氏族の争いとそれに伴う信仰の違いを挙げる。明応九年に石垣島で赤蜂本瓦の乱が起きたとき、その政敵だった長田大主は古見へ逃れて命を保ち、中山に援軍を求めたと由来記にある。柳田はそんな遠方との連絡ができたかは疑わしいとし、隣の宮古島の有力な首領仲宗根氏がすでに八重山に手を伸ばしていて、長田氏もその企てに加わっていたので後ろ盾を頼みやすかったのだろうと見る。当時の古見はなお昔ながらの文化の中心で、宮古の仲宗根豊見親も折々ここを訪れていたらしいという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。