赤蜂本瓦の乱と八重山征討
どんな伝承か
赤蜂本瓦(アカブザホンガワラ)の乱が石垣の島に起こったのは、明応九年の出来事であった。その政敵であった長田大主は古見に遁れて生命を全うし、援を中山に乞うたと由来記に見える。赤蜂征討の船軍には、久米島の巫女の長である君南風を特に乗り組ませ、舳先に立って祈を捧げさせた。それでも四十六隻の中山の兵が石垣の浜に上陸しようとすると、婦女数十人が手に樹枝を持ち、天に号び地に呼ばわって法術を行うかと思われ、味方の士気も頗る沮んだと記してある。しかも大浜の百姓たちは、今もって村の殿内に赤蜂を祀り、赤蜂は死せずの伝説さえ囁かれている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。