慶田川端と与那国征服の内通
どんな伝承か
祖納堂が与那国の全村を攻め落とし、酋長を擒にして殺したとき、七人いた酋長のうち慶田川端ばかりは助命され、もとの村に置かれた。彼がもとより沖縄方に内通していたからである。その家伝によれば、慶田川端は祖納堂の遠征軍を迎えて自ら海辺に打ち出で、この軍勢は我が君の御迎えだと偽って島人を安心させたという。彼は前に一人の美女を蓄えていたが、女の兄の暴虐を怒って之を殺し、女をも海に放した。女は西表島に漂着してその頭の妻となったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。